みなさん、こんにちは。
今回は、生まれかわり(輪廻転生)のお話です。
イアン・スティーヴンソンの『前世を記憶する子供たち』や、日本においても有名な『勝五郎の転生』、さらに、『チベットの死者の書』などは非常に詳しく、死後の世界と生まれ変わりの様子が描写されています。
このように世界中で人の生まれ変わり(輪廻転生)というの報告されています。
でも、それぞれその内容を見ていくと、共通する部分もありますが、かなり違っているところもあるようです。
そこで今回は、人間の生まれ変わり(輪廻転生)というものが、〈仏教〉においてどのように説かれているかを見てみたいと思います。
釈迦がどのように輪廻転生というものをとらえ、弟子達に教えてきたのかを、実際に釈迦自身の言葉をみて探ってみます。
Contents 目次
1、釈迦(仏陀・釈尊)が描く、輪廻転生
まず、釈迦が輪廻転生について、どのように説いていたでしょうか。まずは、釈迦の言葉をみてみましょう。
1、母乳の量にたとえた〈輪廻転生〉
およそ二千数百年前(紀元前5世紀)に、インドで仏教の開祖・釈尊(釈迦。姓名は、ゴータマ・シッダルタ)が説いた教えが、〈仏教〉です。
ではまず、釈迦ご自身が、それを語った部分を見てみましょう。
ここでは、『雑阿含経(ぞうあごんぎょう)・母乳経』の現代語訳をみてみましょう。
このように私は聞きました。
仏さま(仏陀釈尊・釈迦)がコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、祇樹給孤独園)にご滞在の時のことです。
仏さま(釈迦)は弟子たちに告げられました。
「衆生は始まりのない昔から生死を繰り返し、無明におおわれて、愛(愛結)にその首は繋がれ、果てしもなく長い間、輪廻転生を繰り返し続けるだけで苦しみの根本を知らないのです」
仏さま(釈迦)は弟子たちに告げられました。
「(次のものを)どのように考えるでしょうか。恒河(ガンジス川)の水量に四大海の水量を足した総量と、おまえたちがこれまで新値転生するたびに飲んだ母乳の総量とでは、どちらが多いでしょうか」
すると弟子が仏さまに申しました。
「私が世尊(釈尊)のお説きになった法を理解したことによれば、私たちが果てしもなく長い間、輪廻転生を繰り返す間に飲んだ母乳の量は、恒河(ガンジス川)と四大海の水量よりも多いものです」
仏さまは弟子に告げられました。
「よし、よし、その通りです。おまえたちが輪廻転生を繰り返す間に飲んだ母乳は、恒河(ガンジス川)と四大海の水量よりも多いのです。なぜならば、おまえたちは輪廻転生中にある時はゾウとして生まれ、その時飲んだ母乳は極めて多量です。また、時にはラクダ・ウマ・ウシ・ロバや種々の禽獣として生まれ、その時飲んだ母乳の量も極めて多量です。」
ここでは、釈迦(釈尊)は、人間以外の動物であった時のことも観て、その時に飲んだ母乳の量のお話をされている、のです。
続きをみてみましょう。
「また、おまえたちは、輪廻転生の間に、時には墓場に棄てられて膿や血が多量に流出し、またある時には地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に堕ち、髄血が流出することも同様に多量です。弟子たちよ、おまえたちははじまりのない昔から生死を繰り返していますが、苦の根本原因を知りません。弟子たちよ、物質的現象は永遠に変わらず存在し続け得るものでしょうか。あるいは変化するものでしょうか」
弟子たちは仏さまに申しました。
「世尊よ、永遠に変わらず存在し続けるものではありません」
(また、世尊が弟子たちに告げられました)
「弟子たちよ、五陰(蘊)において永遠不変の実在はなく、また永遠普遍に実在するものはないと深く見て理解するならば、世の中に執着する対象がなくなるので、執着する心の働きもなくなるのです。このことを理解することができた時に、転生するものがなくなったと自ら知ることができるのです」
仏様がこの経を説き終わった時、仏様の教えを拝聴した弟子たちは心から喜び、実践しました。
いかがでしょうか。
人は輪廻転生(生まれ変わり)をこれまでにずっと続けてきた、と釈迦(ブッダ釈尊)はいいます。
それは無限に長い時間を何度も何度も繰り返し、生まれ変わりをしてきている、というのです。
なんと、これまでに飲んだ母乳の総量が、ガンジス川と世界の大会の水の総量よりも多いというのです。
2、ラクダやロバなどの動物として生まれた〈人生〉
ものすごい量ですね。
釈迦は、このように非常にわかりやすく喩え話を使って表現されています。
さらに、
『時にはラクダ・ウマ・ウシ・ロバや種々の禽獣として生まれ、その時飲んだ母乳の量も極めて多量です』
と、わかりやすい喩え話で説明されています。
人間は(動物なども含めて)それだけ無限の輪廻転生を繰り返してきている、と釈迦は説いているわけです。
そしてその問題の解決法を明確に説いているのが、釈尊の教えなのです。
「弟子たちよ、五陰(蘊)において永遠不変の実在はなく、また永遠普遍に実在するものはないと深く見て理解するならば、世の中に執着する対象がなくなるので、執着する心の働きもなくなるのです」
と。
2、これが、深い罪を犯した者の〈輪廻転生〉の姿だ!
1、釈迦と大目犍連が視た、「のっぺらぼうの肉のかたまり」
では、深い罪を犯した人がどのような輪廻転生(生まれ変わり)をするのでしょうか。
ここでは、釈迦がそれをどのようにお説きになっていたかを見ていきましょう。
ここではまず、雑阿含経(ぞうあごんぎょう)『屠羊者経(とようしゃきょう)』を見てみます。
勒叉那比丘(ろくしゃなびく)は、大目犍連(だいもくけんれん)に向かって、こう言いました。
「わたくしは今朝、あなたといっしょに耆闍崛山(ぎじゃくっせん)をでて、乞食修行に出かけましたが、途中、あるところで、あなたが欣然(ごんねん)として微笑されました。
(中略)
そこで、いま、改めて質問いたします。あのとき、あなたは、なんの因縁をもって、あのようにニッコリと嬉しそうに笑ったのでありますか?」
尊者・大目犍連は、次のように勒叉那比丘に語った。
「わたしは、あの道のなかで、一人の大きな人間が全身、皮がなくてのっぺらぼうの、肉のかたまりのようになって、虚空をふわふわと歩いていくのを見ました。
その者に、(霊的な)カラス、トビ、鵰(クマタカ)、それにワシ、野生のキツネ、餓狗(飢えた犬)がつきまとい、肉を噛んで食いちぎって食べて、さらに脇腹よりその内臓をとってこれを食っていました。その苦痛たるや切迫し、声の限りに泣き叫びんでいる(啼哭号呼せり)。
それを見てわたしは思ったのだ。なるほど、こういう人間(自分の欲のために身勝手な理由で、人を殺したり、苦しめた者)は、こういう体になって、こういう地獄の苦しみを受けるのだな。そう思って、わたしは思わずニッコリと笑ったのです」
ここで登場する大目犍連は、釈尊の十大弟子の一人で、神通力第一と言われた人です。
目連尊者(もくれんそんじゃ)とも言われます。
わたしたちが夏に行う「盂蘭盆会(うらぼんえ)」は、この大目犍連の母が餓鬼界に堕ちて苦しんでいるのを救うために始まったと言われています。
その目連尊者が、勒叉那比丘(ろくしゃなびく)という下っ端の弟子と歩いているときのことです。
生きているときに多くの人を苦しめた人が、現在はカラスやトビなどの霊的存在に苦しめられている姿を観て、ニコッと笑ったのです。
続きをみてみましょう。
(その話をお聞き気になっていたお釈迦様は)
「よろしい、修行者たちよ。ただいまの大目犍連のいったことは、その通りです。
わたしの弟子の中で、実相を見る目をそなえ、実相を知る智慧を持ち、実在の意義を悟って、正しい仏法(成仏法)に通達した者は、みな、大目犍連の見たような衆生を見るのです。
わたしもまた、この衆生の、こういう姿を見る。
(中略)
この衆生(肉のかたまりのようになって、虚空をふわふわと歩いている男)は、過去世において、多くの人を殺し、苦しめてきました。
その罪により、すでに百千歳地獄の中に堕ちて無量の苦しみを受け、その後、いま余罪によって、このような苦しみを受けているのです。
弟子たちよ、大目犍連の見たことは真実にして正しいのです」
と。
この話の中で、一人の大きな人間が、「皮がなくてのっぺらぼうの、肉のかたまりのようになって」という状態で登場してきます。
もちろんこれは、大目犍連がその神通力によって“霊視”した、〈霊的な存在〉の人のことです。
ですので、一緒に托鉢に同行していたロクシャナ比丘には見えなかったのです。
さらに、こののっぺらぼうな男にたかって肉を噛んで食いちぎっている〈カラス〉や〈ワシ〉、〈野生のキツネ〉などの動物たちも、〈霊的な存在〉です。
なので、霊眼のないロクシャナ比丘には見えなかったのです。
〈盂蘭盆会〉その始まり・・・誰よりもわかりやすく解説しました。《盆踊りの起源、別の説も》
2、「わたしもまた、この衆生の、こういう姿を見る」
さらに、釈迦(ブッダ)がそれをお聞きになり、解説を加えています。
そして、釈迦は言う、
「わたしもまた、この衆生の、こう言う姿を見る」
と。
わたしもこの男の、もがき苦しんでいる姿を見ているのだ、とおっしゃているのです。
そして、この男は過去世において、多くの人を殺し苦しめた罪によって、何千年もの間、地獄に落ちて無量の苦しみを受けたのだ、と。
そのあとに今も、その“余罪”によって、(霊的な)動物たちに肉体を食いちぎられるという苦しみを味わっているのだ。
このようにおっしゃっているのです。
つまり、これは“余罪”であって、まだまだ大したものではないぞ、と。
「本当の地獄の苦しみは、こんなもんじゃないぞ! 地獄の本当の苦しみを長い間経過してから、この男はその“余罪”で、今この状態なのだ」ということなのです。
肉体を動物達に食いちぎられる苦しみは、本当の『地獄』に比べればまだまだ序の口だぞ、ということなのです。
怖い話ですね。
釈迦ご自身がそのように言っているわけです。
3、スピリチュアルブームの甘い言葉には、注意が必要
最近では、いわゆるスピリチュアルのブームに乗った人たちが多く登場しています。
その中には、「〈魂〉は生まれ変わるごとに、どんどん上昇する」などと言う人がいます。
しかし、上記のように釈迦の言葉を読めば、そんな簡単なものではないことが理解できるでしょう。
またこうした人たちは、「人が生まれてきたのには、その〈魂〉の上昇過程において、それぞれ役割があるのです」などとも言います。
そんなことって本当でしょうか?
こうしたことを言う人に、質問をしてみましょう。
次のような場合、あなたはいったいどう考えるのですか?と。
「多くの人を殺害して、人を苦しめた犯罪者などは、人を苦しめるという“役割”を果たすことによって、〈魂〉が上昇するというのでしょうか?」
例えば、テロリストや、反社会的な組織に属している人たちは、多くの人を死に追いやったりして苦しめています。
そうした人たちでも、それが〈魂〉の上昇過程における「役割」だとでも言うのですか?
そんなバカなことはないはずです。
そもそもスピリチュアル系の人は、カウンセラーとしては、まずは目の前の悩んでいる人の心を癒すのが目的です。
ですので、このような容易な甘い言葉をかけて話すのでしょう。
(そもそも殺人犯など極悪人は、みずからカウンセリングなどを受けには来ないでしょうが!)
でも、人の〈魂〉が、自然にどんどん上昇するなんて、常識的に考えてもいかにも甘い話に聞こえませんか?
そうではないのです。
これまでみてきましたように、釈迦はその超人的な霊眼によって人々の「あの世での姿」を見ているのです。
そして、深い罪を犯した人は来世では、言葉では表現できないほどの苦しみの世界に堕ちてしまうと説いているのです。
釈尊は、人(そして、あらゆる生命)の輪廻転生する姿を観て、そうした「苦」を解決するための方法を、われわれに残されたのです。
3、釈尊(釈迦)の言葉を記した唯一の経典『阿含経(あごんぎょう)』
ここまで、釈迦が説いた、〈輪廻転生〉や、人の死後の状態を見てきました。
たまに「仏教では、死後の世界は説かれていない」とか「お釈迦さまは霊の話なんか言っていない」という人がいます。
しかし、それは大きな間違いだということがわかりますね。
では、どうしてそのような間違いをしてしまうのでしょうか。
それは、釈迦の教えが書かれた言葉を読んでいないから、間違えてしまうのです。
〈輪廻転生〉や人の死後の状態について、釈迦はこのようにちゃんとわかりやすく説いているのです。
それは釈迦の言葉を記した唯一の文献とも言える経典『阿含経(あごんぎょう)』に、その言葉が残っています。
ですので、釈迦が残した言葉を聞きたい時には、『阿含経』を読む必要があります。
その他のお経は、すべて作り話(フィクション)です。
『阿含経』以外のお経は、すべて何百年も後に作り出された、作り話のお経です。
ですので、その中に登場する釈迦の言葉は信用できません。
釈迦の考えとか仏教の思想を知るには、まず、『阿含経』を読みましょう。
かなり量が多いですが。
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4、まとめ
- 二千数百年前(紀元前5世紀)に、インドで仏教の開祖・釈迦(姓名は、ゴータマ・シッダルタ)が説いた教えが、〈仏教〉である。
- 人間は(動物なども含めて)無限の輪廻転生を繰り返してきている、と釈迦は説いている。
- 多くの人を殺し苦しめた人は、何千年もの間、地獄に落ちて無量の苦しみを受ける。
- いわゆるスピリチュアル系の人たちの「〈魂〉は生まれ変わるごとに、どんどん上昇する」と言うのは間違いである。
- 釈尊は、人(そして、あらゆる生命)の輪廻転生する姿を観て、そうした「苦」を解決するための方法を、われわれに残された。
- 釈迦の考えとか仏教の思想を知るには、まず、『阿含経』を読む必要がある。
【参考文献】
『君は誰の輪廻転生だ』(桐山靖雄著、平川出版社)
『バウッダ・佛教』(中村元、三枝充悳、小学館)
『釈尊の生涯』(水野弘元著、春秋社)
『お坊さんなら知っておきたい「説法入門」』(正木晃著、春秋社)