仏教 宗教 輪廻転生・生まれ変わり

君は誰の、生まれ変わりか・・・〈死後の世界〉の真相

 

みなさん、輪廻転生って、信じますか?

 

人の生まれ変わりの真相については、

『君は誰の輪廻転生(うまれかわり)か』(桐山靖雄著・平川出版社)

に非常にわかりやすく詳しく解説されています。

 

君は誰れの輪廻転生(うまれかわり)か
今回は、おもにこの本を参考に〈死後の世界〉とはどういうものかを探っていきたいと思います。




Contents 目次

1、死後、人はどんな世界に行くのか

 

この『君は誰の輪廻転生(うまれかわり)か』には、〈死後の世界〉の様子が非常に詳しく解説されています。

 

1、人は死ぬとすぐ、どうなるか?

 

まず人は、

死んでしまうと、しばらくすると意識を取り戻す

といいます。

 

もちろん、肉体の方は死んでしまっているのです。

その状態で、“意識を取り戻す”のです。

死んでから“意識”を取り戻すまでの時間は、人によりさまざまです。

息を引き取って間も無く意識を取り戻す人も少ないといいます。

その逆に数ヶ月もかかる場合もあるようです。

 

“意識”を取り戻した死者は、自分が死んでいることに、大変なショックを受けます。

 

そりゃそうでしょう。

自分が死んでいるのですから。

ビックリするなんてものではない、まさに大ショックです。

パニックに陥っても仕方がない。

 

そこで、

まだ自分の死体がそこにあるときは、九回も、そこに戻ろうとする

のです(戻れないのですが)。

 

すでに火葬されてしまっている場合は、自分のお骨が収められている骨壷の周りを際限なくまわりながら、悲痛な思いで泣きます。

 

そして、生きていた時のさまざまな辛い思いや苦しい思いが蘇り、恨みつらみをぶちまけたくなる。

そうした時間がしばらくの間続き、苦しみます。

 

2、死者が行く〈斎の広場〉

 

しかし、そうした激情の期間はいずれ終わり、それが過ぎると、死者は

〈斎の広場(さいのひろば)〉

に向かって、さまよい歩くのです。

 

〈斎の広場〉ってどんなところ?

〈斎の広場〉とは、老若男女、解脱できないでいる死者がすべて向かう場所です。

いっぱんに「斎の河原」という言葉があります。

これは子供が亡くなった時に、行く場所で、三途の川のほとりにある河原をいいます。

 

ここで、〈斎の広場〉の先にある〈三途の川〉を跳び超えて、対岸の冥途に行ければ良いのですが、大抵の人は、その悪業の重みによって、三途の川に落ちて苦しむのだそうです。

 

〈三途の川〉とは、地獄道・餓鬼道・畜生道のことです。

 

三途の川に落ちれば、言葉で表現できないほどの非常な苦しみの状態に陥るわけです。

 

ではここで、〈斎の広場〉がどのようなものなのかを見てみましょう。

 

この斎の広場に、無数の人びとが集まっている。

みな、影のように、かげろうのような、灰いろで半透明の身体を持っている。

皮肉を透して、骸骨に見えるものもいるし、生きていたときとさほど変わらぬように見えるものもいる。

(中略)

何万、何十万とかぞえきれないほどの群衆がおし合いへし合いしている。

衣服をまとっているものもいるし、半裸、全裸のものもいる。

力尽きたようにそこここに倒れ伏しているものも無数にいる。

 

このように〈斎の広場〉には、何十万という先輩の死者たちがいるのです。

人によっては、時間の経過とともに身体が半透明な状態になっていたり、骸骨になっていたりします。

 

でも、先輩の死者たちがいると言っても、ここで自分が会いたい人と会えるわけではないです。

なぜなら、人はそれぞれ背負っている業(カルマ)が違うからです。

そのため、

自分と違う境界(きょうがい・レベル)の人とは縁が離れ過ぎているため、会いたくても会えない

のです。

 

違う世界に住んでいるから会えないのです。

 

3、〈斎の広場〉の先にある三途の川

 

さて、〈斎の広場〉の先には断層が見えます。

群衆の叫喚は、天地にとどろくほどのどよめきなのだが、ふしぎなことに、それらの音響は虚空に吸い取られたように消え、まったく反響を起こさない。

この断層を、娑婆世界では、

葬頭河(そうずか) または、 三途の川(さんずのかわ)

と呼んでいるが、死者たちは、地獄谷とよんでいる。

死者たちは、この断層を飛び越えなければならぬのである。

この断層を超えた対岸に、冥界(冥途)がある。

 

〈斎の広場〉の先には、大きな断層があり深くて広い〈三途の川〉があるのです。

〈三途の川〉に落ちればまさに本物の地獄行きです。

死者たちは、経験的にそのことをよく知っています。

“経験的に”と言いましたのは、死者は皆、これまでに幾千回幾万回もここに来ているからなのです。

 

死者は、生前になした悪業の重さにより、この空間(断層)を飛び越えることが出来ないのである。

それは、悪業だけではない。

悪念もまた、死者に浮力をあたえない。

肉体は消失して無重力だが、欲望、怨念等の悪念は、鉛のように重たいのだ。

すべての悪業から解脱し、こころ空(くう)になったもののみ、この空間を越えることが出来るのである。

 

こうして、死者たちは、〈斎の広場〉から飛び越えることができずに、苦しみ続けるのです。

 

私たちが持っている欲望、怨念等の悪念は、鉛のように重たい。

そのため、それが邪魔をして、〈斎の広場〉から抜け出ることができないのです。

 

2、生きている者は苦しみのあまり自殺して死ぬが、死者は苦しみのあまり、再生する

1、何としてでも身体を持ちたい!

 

では、〈斎の広場〉に行ったものは、次にどこへ向かうのでしょうか。

あまりにも苦しいので、死者は魂を安定させる、肉体が欲しくなるようです。

かれの苦しみは絶頂に達する。

「ああ、苦しい。苦しくてたまらない。なんとしても身体がほしい」

痛切に、こころを安定させる身体がほしくなるのだ。

「なんとしてでも身体を持ちたい。いまから、どんなものとして生まれるのであってもいい、早く身体がほしい」

その思いに駆り立てられる。

また、つよく執着しているその人間になりたいという願いに駆り立てられることもある。

〈解脱(げだつ)〉できない人が、身体を持たないでいるということは、非常に不安定で苦しい状態なのです。

 

こうして人は苦しみのあまり、どんな肉体でも良いので、とにかく再生するのです。

 

 

2、次の生では、どういう人間(動物)に、生まれ変わるのか⁉︎

うまく人間に生まれ変われれば良いのですが・・・

下手をすると、動物に生まれ変わってしまうやもしれません。

 

また、人間に生まれることができても、生まれつき極めて過酷な身体に生まれるかもしれず、あるいは、極貧の環境に生まれるやもしれないのです。

 

どういう人間(あるいは動物)に生まれ変わるのかは、すべて、生前になした行いが業(カルマ)となって決定する

ようです。

 

こうして、

生きている者は苦しみのあまり自殺して死ぬが、死者は苦しみのあまり、再生する

のです。

 

3、転生者の特徴は

 

ここでは、悲惨な最期を遂げて怨念を残して死んだ人の場合、その生まれ変わったのちの来世では、どのような人になるのかを見てみます。

1、前世で悲惨な最期を遂げた、「転生者」の特徴

 

通常、再び人間として生まれ変わった場合の「転生者」の特徴には、どのようなものがあるのでしょうか。

ここでいう「転生者」とは、前生において悲惨な死に方をして、死ぬ間際につよい怨念を抱いて死んだ者のことを言います。

 

桐山靖雄師は、次のような特徴を挙げています。

  1. 猜疑心・警戒心がつよい。
  2. ひがみっぽく、被害者意識がつよい。いつも、誰かに狙われえている、とか、やっつけられる、と思っている。
  3. 執念深く、ひとつのことを、執拗に思いつづける。
  4. 挫折感がつよい。最初から、うまくいきっこないと思っている。少し面倒になると衝動的に自殺を考える。
  5. 孤独感がつよい。人見知りがつよく、人にたいして選り好みがつよい。
  6. 分裂的性格を持っている。

 

どうです?

みなさんは、このどれかに当てはまりませんか⁉︎

 

一つや二つ、当てはまる方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 

こうした性格特徴があるために、通常ならば上手くいくものもいかなくなるのです。

自分から成功の道を閉ざしてしまうのでしょう。

 

それもそのはずで、前世において、横変死するなど

悲惨な最期を遂げた「転生者」は、その時の怨念によって現世に再生してきている

のです。

 

ですから、生まれ変わった

現世でも、自分が幸運で幸福な人間であるなどという気持ちを、深層意識に持つはずがない

のです。

 

2、極端に運の悪い人は、転生を疑う必要あり!

 

なぜか?

その理由は、次のことが考えられます。

  1. 外面的には、非常に不幸・不運であった前生者の「運命の反復」をするから。
  2. 内面的には、「自己破壊の精神形態」を持つから。

 

この二つの理由によって、悲惨な死な方をした「転生者」は極端に運が悪くなるのです。

 

皆さんどうでしょうか、ご自身を振り返って、身に覚えがある方もおられるのではないでしょうか。

 

私は他のブログ記事で、運を良くするための方法をご紹介しています。

その中では、霊符(護符)を身につけたり、神社などパワースポットに行くことを推奨しています。

 

しかし、この章で見てきたように極端に運が悪い人には、そうしたものだけでは全く太刀打ちできないと考えています。

もっと根本的な霊魂救済法がなされなければならないのです。

 

また、いわゆるスピリチュアルカウンセリングといわれるものでは、悲惨な最期を遂げた人の生まれ変わりには、本当の問題の解決にはなりにくいでしょう。

 

4、仏教が説く、霊魂の存在と輪廻転生

 

では、仏教では、霊魂の存在をどのように説いているのでしょうか。

1、仏教で説く、「死後の世界」

 

釈尊(お釈迦のこと)は、婆蹉出家(婆蹉種(ばさしゅ)出身の出家の修行者)が、死後の問題について質問した時、次のように答えています。

婆蹉人間は死後、なにに依って生まれるのですか?

釈尊:それは渇愛(タンハー)に依るのである。渇愛(タンハー)に依って、五道のいずれかへ生まれるのである。

【雑阿含経(ぞうあごんぎょう)「身命経」より】

 

ここでいう五道というのは、地獄・餓鬼・畜生・人・天の境界のことで、われわれの住むこの世界のあり方をあらわします。

「六道(りくどう)」ともいいます。

 

その場合は、

地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界

のことを言います。

 

これをグルグルと回り続けることを「六道輪廻」と言います。

 

渇愛の原語「タンハーTaṇhā」とは、「のどの渇き」という意味です。

熱帯のインドにおける水を断たれた場合の喉の渇きを表現しています。

水を断たれた時の恐ろしさ、苦しみをたとえにしているのです。

まさに切実極まる激しくつよい欲望・執着を表現しています。

 

「生きかわり、死にかわりしてでも、し遂げなければ、死んでも死に切れない」

その一念が、次の生を引き寄せるのです。

 

2、業報思想とは

 

このように仏教では、激しい喉の渇きにたとえられる“渇愛(タンハー)”によって、次の世界に生まれ変わるとしています。

その背景には

「業報(ごっぽう、ごうほう)思想」

というものがあります。

業報思想とは

これは、〈原因〉と〈結果〉が鎖の輪のごとく連なって同一人格の上に現れる、というもの。

つまり、連鎖しているという事です。

その連鎖が同一人格の上に現れる、というのが特徴です。

ですから、これを「自業自得」と言います。

 

仏教では、〈現世〉の自分の境遇や才能は、〈前世〉の自分の業報によって決定されると考えます。

ですから、そこに〈過去〉、〈現在〉、〈未来〉の三世の思想が出てくるわけです。

 

ただし、この場合、その人の生きている間の生涯とは限りません。

この世の行いの報いをこの世で受けるのは当然ですが、この世の報いを受けないで来世で受けることも多々あります。

 

 

と言いますのは、この世の中を見ておりますと、善人が苦しんで滅んでいるという場合がしばしば見られます。

それに対して、悪人が栄えている、という現象が確かに見られますよね。

 

でもそれは、その人の一生涯だけを見ているから、そのように見えるだけなのです。

 

その人の来世を見てみると、必ず業の報いを受けているのです。

 

良いことの報いも悪いことの報いも、どちらも平等に生じているのです。

 

5、仏陀の霊魂救済法とは

 

「死後、人はどんな世界に行くのか」の章の最後の部分で、

「すべての悪業から解脱し、こころ空(くう)になったもののみ、この空間を越えることが出来るのである」

とありました。

1、「四沙門果(ししゃもんか)」の聖者たち

 

では、「すべての悪業から解脱した人」とは、どのような人のことでしょうか?

 

それは、「四沙門果(ししゃもんか)」の聖者のことです。

 

それは、釈迦の伝えた

七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうほん)の成仏法

を修行して聖者となったもののみが、虚空たかく〈三途の川〉の断層を飛び越えていけるのです。

 

そして、その先にある冥土を超えて、さらに先にある霊界に到達するようです。

「四沙門果(ししゃもんか)」の聖者

凡夫の境界(レベル)を超えた4種類の聖者のことです。

仏教における成仏法の修行をした修行者が、修行が進むに連れて凡夫の境界(レベル)を超えた聖者の四段階のことをいいます。

 

その四段階とは、次の通りです。

  1. シュダオン(須陀洹 )
  2. シダゴン(斯陀含)
  3. アナゴン(阿那含)
  4. アルハト(阿羅漢・仏陀・大覚者)

 

釈迦の伝えた七科三十七道品の成仏法の修行によって、ひとたびシュダオンの境界(レベル)に達すると、もう二度と輪廻の苦しみの輪には戻りません。

 

そして、シュダオン→シダゴン→アナゴン→アルハト(仏陀)へと順次進んでいくのです。

 

2、人の「輪廻転生」の奥深さ

 

さてここまで、『君は誰の輪廻転生(うまれかわり)か』より、ほんのごく一部をご紹介して生まれ変わりについて見てきました。

 

これまで見てきましたように、輪廻転生は、単に誰それの生まれ変わりだ、っていうような簡単なレベルのお話ではないことがわかります。

そこには、まだまだ一筋縄ではいかない、非常に深い問題が隠されていることがわかります。

 

より詳しくは『君は誰の輪廻転生(うまれかわり)か』をお読みください。

 

〈輪廻転生〉や〈生まれ変わり〉ということについて、この著書以上に深い洞察がなされた本は、私は知りません。

 

私のオススメ本です。

【関連記事】仏教では、生まれ変わりをどう考えるか⁉︎ ⬇︎

生まれ変わり(輪廻転生)の秘密〈ブッダ釈尊編〉

 

6、まとめ

  • 人は死後、“意識”を取り戻し、〈斎の広場〉に向かい、苦しみ続ける。
  • 生きている者は苦しみのあまり自殺して死ぬが、死者は苦しみのあまり、再びこの世に身体を持って再生する。
  • 転生者(前生において悲惨な死に方をして、死ぬ間際につよい怨念を抱いて死んだ者)は、極端に運が悪い。
  • 仏教では、渇愛(タンハー)に依って、五道のいずれかへ生まれると説く。
  • 釈迦の伝えた七科三十七道品の成仏法の修行によって、ひとたびシュダオンの境界(レベル)に達すると、もう二度と輪廻の苦しみの輪には戻らずにすむ。

 

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