チベット密教 仏教

チベット密教の〈四大宗派〉とは?・・・神秘と性・呪殺の世界

 

前の記事では、『チベットの死者の書』のご紹介をしてきました。

今回は、そのチベットの密教(仏教)の、四大宗派の世界を、わかりやすくご案内したいと思います。

 

Contents 目次

1、チベット仏教には、四大宗派がある

1、チベット仏教の特徴

 

チベットの仏教と、日本の仏教には、同じ仏教といいましても、違う点が多々あります。

その大きな違いは何でしょうか?

 

それは、次のことが挙げられます。

  • 日本の仏教は、インドから中国に伝えられたものを取り入れている
  • チベット仏教は直接インドから伝えられた
  • したがって、チベット仏教は、日本仏教に比べて、インド仏教をより忠実に継承している
  • 日本の仏教はインドで西暦1世紀~7世紀ころまでに成立した大乗仏教を中核としている
  • チベット仏教は、インドで7世紀ころから13世紀ごろまでに成立した大乗仏教を中核とする
  • 日本の仏教には、密教(真言宗と天台宗)と顕教(それ以外の仏教)に分けられる
  • チベット仏教は、どの宗派においても、より密教色が濃い

 

このようにチベットの仏教は、密教色が非常に濃いため、それをチベット“密教”といっても問題ないようです。

 

 

2、チベット仏教の四つの宗派とは

 

チベット仏教には、大きく四つの宗派があります。

それは次の4つをいいます。

  • ニンマ派(開祖:パドマサンバヴァ)
  • サキャ派(開祖:クン・クンチョク・ゲルポ)
  • カギュ派(開祖:ティローパ)
  • ゲルク派(開祖:ツォンカパ)

四つ以外にも宗派ありますが、その影響力は非常に小さいようです。

 

最も古く成立したのは、ニンマ派です。

 

さらに、ニンマ派を除く三派のことを、〈サルマ派〉と総称されます。

サルマとは、「新しい」という意味です。

一番新しいのはゲルク派です。

 

次に、四つの宗派の特徴をそれぞれ見ていきましょう。

 

 

2、ニンマ派

1、古くて神秘色が強いニンマ派

 

ニンマ派は、チベット密教で最も古い吐蕃以来の流れを継承する派です。

ニンマとは「古い」という意味です。

 

ただし、古いといっても、8世紀ころに成立したインド密教にもとづいています。

ちなみに、日本の密教は、7世紀のインド密教を中国を通してから継承しています。

ですので、一番古いニンマ派であっても日本の密教よりは新しいタイプの仏教だということになります。

 

ニンマ派の特徴としては、次のことがあげられます。

  • 古い時代に翻訳された経典に依拠していること
  • 多数の埋蔵経典があること
  • 中国の禅やチベット土着のボン教の影響を受けていること
  • 非常に呪術など神秘を重視して、密教色が濃いこと

 

もともとチベットにあったボン教とかなり深い交流があります。

その意味では、インド密教の忠実な継承者とは言えないところがあります。

 

2、テルマ(埋蔵経典)を重視する

 

それらの特徴は、“新約”の経典に依拠しているゲルク派などから批判的にとらえられているようです。

 

宗祖というのはいないのですが、パドマサンバヴァ(8世紀後半ころ)を宗祖に近い存在としてあがめています。

パドマサンバヴァは8世紀の人で、古代チベット王国の全盛期にインドからチベットに密教をもたらした人です。

 

ニンマ派の大きな特徴として挙げられるのは、テルマ(埋蔵経典)を教法として活用していることです。

テルマとは、パドマサンバヴァに代表される古密教(吐蕃王国時代の密教)の行者が、その修行によってインスピレーションで感得した教えや法を記した経典のことです。

その秘法を記した経典を地中などに埋葬して誰にも見つからないように保管したものなのです。

 

その発見方法には、次の2種類に大別されるようです。

  • 発掘者がある種の啓示を受け、それによって土中から発掘する
  • 発掘者自身が、霊感を受けてそれを著す

この2つの“発見”方法があるようです。

 

このように神秘色が強いのがニンマ派の特徴です。

(テルマに関する詳しい内容は、前の記事「『チベットの死者の書』について、わかりやすくご紹介します」をご参照ください。⬇︎)

 

〈パドマサンバヴァ〉

 

3、サキャ派

1、クン族系統の宗派

 

サキャとは、1073年に、中央チベット西部のサキャ(「灰白色の土地」という意味)という場所からきています。

 

サキャにおいて、コンチョク・ギャルポ(クン・クンチョク・ゲルポ。1034年ー1102年)という人物が寺を建立したことから始まります。

彼が開祖となります。

そして、その子がクンガ・ニンポ(サチェン・クンガ・ニンポ。1092年ー1158年)です。

日本では平清盛が、1118年生まれですから、清盛の26年前の生まれの人です。

 

彼はまれにみる宗教的天才だったようです。

膨大な新旧の経典やタントラ聖典、口伝などを再編成し、みずからの創意をくわえて、独自の精緻な教義と修行法を構築しました。

サキャ派の代表は、クン族から選ばれる世襲制です。

 

ちなみに、このサキャ派の祖、コンチョク・ギャルポの父、コン・サキャ・ロドは、ドルジェタクによって度脱(呪殺)されています。

ドルジェタクとは、チベット密教史上最高の怪僧です。

(ドルジェタクについては、また別のページで書いていきたいと思います)

 

2、サキャ派の全盛期を築いたパクパ

 

このクンガ・ニンポのほかに、サキャ派を確立した4人を「五代先師」と言います。

 

それは次の5人です。

  • クンガ・ニンポ
  • ソナム・ツェモ(クンガ・ニンポの子)
  • タクパ・ギェンツェン
  • サキャ・パンディタ
  • ドゴン・チューゲル・パクパ(サキャ・パンディタの甥)

 

このうちのサキャ・パンディタは、チベット密教史上、屈指のが大学匠と呼ばれています。

彼は、チベット、インド、ネパールなど、各地を遊学し、顕密の両学、医学、占星術、芸術をマスターしたそうです。

さらに、モンゴルにサキャ派を布教しました。

 

また、このサキャ・パンディタの甥が、ドゴン・チューゲル・パクパです。

彼は、元のクビライの命により、モンゴル文字のパスパ文字を創作しました。

パスパとは、「聖なる」「すぐれたる」という意味です。

元の帝師に就任し、サキャ派の全盛期を築きました。

 

サキャ派の教理面の特徴は、インド高貴密教を代表する密教聖典『へーヴァジュラ(呼金剛)タントラ』を根本聖典としていることです。

 

 

4、カギュ派

1、分派の多いカギュ派

 

カギュとは、「教えの伝統」という意味です。

カギュ派の特徴は、インド後期密教にもとづくヨーガの神秘体験と子弟間の秘伝直授を必須とするところです。

カギュ派の法系は、インド在家の密教行者であるティローパを開祖とします。

 

カギュ派は、在家密教の行者のキュンポ・ケートゥプ(990年ー1139年)マルパ(1012年ー1097年)が、ほぼ同時期にインドやネパールに留学して、密教をチベットに伝えたことに始まります。

しかし、この二人はほとんど交流はなかったようです。

このティローパからその弟子のナーローパ、さらにマルパやキュンポに秘法が伝授されたといいます。

 

カギュ派は、各地の有力士族と結びついて発展していきました。

その教えは密教色が強く、地域に根差した士族たちの閉鎖的な性格とあいまって、独立独歩の傾向が強かったといいます。

そのため、カギュ派は多くの分派にわかれています。

 

その中で、とりわけ大きな勢力を築いたのが、トゥースム・キェンパ(カルマ・ドゥスンケンパ。1110年ー1193年)を祖とする〈カルマ・カギュ派〉です。

 

2、〈転生活仏制度〉が創られる

 

現在、チベット密教では〈転生活仏(ラマ)制度〉というのがあります。

この〈転生活仏制度〉を創造したのが、カルマ・カギュ派です。

これは、悟りを開いた高僧はあえて解脱せずに、何回でもこの濁世に生まれ変わってきて、人々の救済に当たるという考えです。

 

組織的な強化という面でみると、この制度のおかげで、派内の結束をかつてなく強化させることに成功し、抗争を勝ち抜けたとも言えます。

この転生活仏制度は、他の派にも採用されることになります。

 

このカルマ・カギュ派の教主である化身ラマのことを、カルマパと言います。

ダライ・ラマ、パンチェン・ラマに次ぐチベット仏教の序列第3位とされています。

 

もっとも、ゲルク派のダライ・ラマ、パンチェン・ラマとは宗派が違うため、「序列3位」という表現は正確ではないといわれます。

 

現在のカルマパは、カルマパ17世(ウゲン・ティンレー・ドルジェ。1985年生まれ)です。

カルマパ17世は、2000年にチベット自治区からインドに亡命しています。

 

  • マルパ(タクポ・カギュ派)➡︎ミレラパ➡︎ガムポパ➡︎トゥースム・キェンパ
  • キュンポ(シャン・カギュ派)・・・早い時期に衰退

 

〈カルマパ17世〉

 

5、ゲルク派

1、問題となっていたジョルとドル

 

ゲルクとは、「徳行」という意味です。

黄色い帽子をかぶることから、「黄帽派」とも呼ばれます。

 

このゲルク派はチベット最高指導者のダライ・ラマと、序列2位のパンチェン・ラマの宗派です。

 

ゲルク派は、ツォンカパ(1357年ー1419年)という、チベット史上最高の宗教的天才によって創始されました。

 

ツォンカパが登場したころは、僧侶の堕落が問題となっていたようです。

その原因は、〈ジョル〉と〈ドル〉の問題です。

 

2、ツォンカパの結論

 

〈ジョル〉というのは、性的ヨーガのことです。

性的ヨーガとは、性行為を導入した瞑想法のことです。

しかし、これを口実に、ひたすら性行為に溺れる人が少なくなかったそうです。

 

また、〈ドル〉というのは、呪殺のことです。

敵対者を呪詛によって殺害したり病気にしてしまうというものです。

 

この〈ジョル〉と〈ドル〉の考えは、もちろん、仏教の本義に背くものです。

チベット密教のそうした傾向にくさびを打ち込んだのが、ツォンカパだったのです。

 

〈ツォンカパ〉

 

つまり、ツォンカパは、〈ジョル〉については、現実の女性との性行為を固く禁止しました。

そして、〈ドル〉については、もちろん、全面的に禁止です。

そして、戒律の復興に力をそそいだのです。

 

 

彼はこうして、旧来の諸宗派の腐敗ぶりに業を煮やしていた人々から、熱い支持を得ることになったのです。

こうして、ゲルク派はチベット密教の伝統を損なうことなく、刷新することに成功したのです。

 

現在のチベットの仏教というと、きっちりと戒律を守った立派な人ばかりというようなイメージがありますね。

でも、そこはやっぱり人間です。

ツォンカパが登場する以前は、愛欲と呪詛に堕落していた人がいっぱいいたのですね。

 

現在のチベット密教があるのは、ツォンカパのおかげなのです。

 

ちなみに、ツォンカパは1357年生まれです。

日本で言うならば、足利高氏が1358年に死去していますから、ツォンカパの活躍した時代は、室町時代始めの頃に相当します。

 

3、ダライ・ラマの誕生

 

その後、ツォンカパの後継者たちは、カルマ・カギュ派の〈転生活仏制度〉を採り入れました。

これが、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの誕生になります。

 

ゲルク派が教線を伸ばしたのは、この〈転生活仏制度〉が大きな要因だといわれています。

ゲルク派は、現在、圧倒的な力を持っています。

ゲルク派の最高指導者のダライ・ラマは、チベット仏教全体の指導者でもあり、政治的な指導者でもあるのです。

 

〈ダライ・ラマ14世〉

 

6、チベット仏教は、密教か顕教か?

 

チベットの仏教の原則として、どの宗派であっても、密教と顕教(密教以外の大乗仏教)の両方共を学ぶことになります。

 

ただ、次の通り密教と顕教の比率が宗派によって異なるようです。

  • ニンマ派・・・密教の比率が圧倒的に多い
  • ゲルク派・・・顕教の要素をも重視する
  • サキャ派・・・ニンマ派とサキャ派の中間であるが、ゲルク派に近い
  • カギュは・・・ニンマ派とサキャ派の中間であるが、ニンマ派に近い

 

このように宗派によって違いがあります。

 

以上が、チベット密教(仏教)の4つの宗派の特徴です。

 

ちなみに、チベット仏教を国教としているブータンでは、その宗派は主にニンマ派と、ドゥク派(カギュ派の一派)です。

どちらもかなり神秘的で密教色が強い宗派と言えそうです。

 

日本の仏教も素晴らしいですが、チベット密教から多くのものが学べそうですね。

 

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