心理、精神

ドッペルゲンガー(二重身)、離魂病。あるいは、臨死体験のおはなし

 

みなさん、こんにちは。

 

今回は、ドッペルゲンガー(二重身)についてお話ししていきたいと思います。

 

みなさんは、〈自分〉の姿を見たことはあるでしょうか?

もちろん鏡や映像とかではなく、すぐ目の前で〈自分〉を見るのです。

おそらくそんな体験をした人はいないのではないかと思います。

 

Contents 目次

1、もう一人の自分を見る体験

 

ドッペルゲンガーとは、どういうのをいうのでしょうか?

 

それは次のように言われています。

ドッペルゲンガー(Doppelgänger)とは、「二重身」とも言われます。

これは、「もう一人の自分」が見えたり、感じられたりすることです。

精神医学的には、自分自身が見えるという点から、「自己視」「自己像幻視」とも、また、「分身体験」とも言われるそうです。

さらに、「離魂病」とも言われたりします。

 

ここではまず、ドッペルゲンガーがどういうものなのかを知るために、その一例をみてみましょう。

 

只野真葛(ただのまくず)という人の話に、北勇治(きたゆうじ)という男の話が載っています。

 

勇治が家に帰って居間の戸を開くと、机に押しかかっている人がいる。

自分の留守の間に誰だろうとみると、髪の結いよう衣類帯に至るまで、何から何まで自分が常に来ているものと同じである。

自分の後ろ姿はみたことはないが、寸分違いないと思われ、あまりに不思議なので、顔を見ようと歩み寄った。

すると、男は向こうを向いたまま障子の細く開いたところから縁先に出て、走って行ってしまった。

あとを追ったがもう姿は見えなかった。

家族に話をすると、母親はものも言わず顔を顰めていたが、以後、勇治は病みつき、その年のうちに死んでしまった。

だがこうした怪異現象は、実は彼が最初の体験ではなかった。

祖父の代から3代続けて、いずれも自分の影を見た後、病死していたという。

「是迄三代其身のすがたを見てより病つきて死にたり。これや所謂影の病なるべし。祖父、父の此病にて死せしこと、母や家来は知るといへども、余り忌みしことゆゑ、主には語らでありし故知らざりし也。」

とあります。

 

ここでは、「影の病」として、自分自身の姿を見ることであり、それは自分の魂の抜け出したものであると解釈しているのです。

自分の姿を見ると死ぬという言い伝えは日本だけではなく、ドイツにおいてもそのように言われているそうです。

 

この場合、もう一人の自分は、本体の自分の方を見ずに去って行きます。

もし、もう一人の自分に、「自分としての意識」あるいは「自我」があったならばどうなるでしょうか?

その場合にはもう一人の自分も、こちらの自分を見て、その姿に驚くはずです。

 

でもそうではなくて、こちらを見ずに去っていくところから、それは“幻視”ではないかとも考えられるでしょう。

 

さらに、「離魂病(りこんびょう)」とも言われるドッペルゲンガーでは、北勇治のように、もう一人の自分を見た本人は、近い将来に死ぬといわれています。

ですので、これは何らかの「霊的な現象」とも解釈できるかもしれません。

 

芥川龍之介(1892年ー1927年)も、自殺前に自分の姿を見たという話があるようです。

 

彼の最晩年の作品に、『歯車』というのがあります。

この作品は、芥川龍之介の自殺につながる、妄想などのさまざまな病的な体験が描かれています。

ここでは、「第二の僕」とよぶ自分の分身を、K君の夫人と翻訳家が、それぞれ違う場所で見たということです。

 


歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

2、ドッペルゲンガーに似た〈心の病〉とは?

 

心理学的には、ドッペルゲンガーに似た心の病としては、次のようなものもあるそうです。

  • もう一人の自分を見ることはできないが、もう一人の自分がいると感じたり、強く確信したりする。
  • 外観は異なり、名前も異なるが、もう一人の“自分”が他の場所で行動していると確信する。
  • 自分の外に自分が存在し、そこから自分の姿を眺めているという体験。

 

3番目の自分の姿を外から眺めている、と言う体験に似ているものでは、「臨死体験」〈体外離脱体験〉としてよく報告されています。

ただし、〈体外離脱体験〉の場合は、自分の肉体は、心臓が止まっているなどの瀕死の状態にある場合がほとんどです。

〈体外離脱体験〉の報告は非常に多くあるようです。

 

臨死体験者のうちの46.5パーセントが〈体外離脱体験〉をしているという報告もあります。

 

ここでその一例をみてみましょう。

交通事故で瀕死の重傷を負った私は、手術室に横たわっていました。

それまで、声や機会音しか聞こえなていなかったのに、急に周りの光景が見えるようになりました。

そして、横たわっている自分を取り囲んでいる医師や看護師の姿を見たのでした。

彼らは重傷を負っている私の手術をしているのでした。

その光景を私は上からじっと見ているのでした。

体に入りたいとは思いませんでした。

ただただそれを上から見ている、という感じでした。

 

〈体外離脱体験〉では、事故の直後に、その場から離れて、近くの人に助けを呼ぼうとした、という体験の話もあるようです。

ただしその場合は、近くにいる人に声をかけても、まったく自分の声は届かないことがほとんどのようです。

 

 

こうした報告を単なる脳が作り上げた幻視だという人がいます。

そういう説明も、場合によっては正しいでしょう。

 

でも、すべての場合が「幻視」をみていた、とは言い切れないところがあるのです。

 

なぜなら、体外離脱体験をした人の報告では、その場に実際に行ってみなけらばわからなかったことなどもその人が「見て」いるからです。

手術場面でしたら、手術室にいたスタッフの人数や、顔を記憶している、などといった体験です。

 

ですので、

実際に肉体から「魂」が抜け出して、上から自分を見ている

のでしょう。

 

「臨死体験」の場合は、体外離脱とは別に、トンネルの中を歩いたとか、それをくぐると綺麗な花畑の光景が現れたとかという話があります。

(「臨死体験」については、また別のページで、くわしく書いてみようと思っています。)

 

3、心霊現象の場合

 

さらに、心霊写真で、鏡に映った自分の姿の一部が欠けているということが時おりあります。

手や足などが明らかに映っていないのです。

時には、首から上が写っていない場合もあったりしますね。

 

見ていると不吉な予感がしますね。

その人物の映っていない手足が、近い将来に何らかの事故などで失われるのではないかと不安に思えてくるからです。

 

もっと怖いのは、本人は笑顔をしているのに、鏡に映っているその人が、違う表情をしている、という場合もあります。

しかも視線がどうしてもありえない方向を見ていたりしたりします。

 

 

こうした現象は、明らかに「霊的な現象」と考えられるでしょう。

 

もちろん、ここでそうした「心霊写真」を載せる気はありません。

このブログの読者の皆さんが、憑かれたら困りますからね。(笑)

 

そうした「心霊写真」に興味がおありの方は、ご自分で検索してくださればいろいろと見つかると思います。

 

4、もしも、もう一人の自分に遭遇してしまったら、どうすれば良いか?

 

ドッペルゲンガーの体験は非常に稀なようです。

 

でも、「もう一人の自分がいる」という体験をすれば、あなたはどう感じるでしょうか?

驚くと同時に恐怖を感じるでしょうか?

それとも逆に面白いと感じるでしょうか?

 

考えてみれば、もう一人の自分がいて、自分の知らないところで、一所懸命に残された仕事や、宿題を片付けていてくれたら嬉しいですよね。

 

 

でも、もう一人の自分を見た本人は、近い将来に死ぬといわれてるのでは、うかうか喜んでいられません。

 

 

ではもし、あなたが実際に「もう一人の自分」を見てしまった場合には、どうすれば良いでしょうか。

 

その時にはまず、

力のある神社に行って、「お祓い」をしてもらうこと

をお勧めします。

 

もう一人の自分を見たときには、くれぐれも早死にしないようにお気をつけくださいね。

 

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