仏教 輪廻転生・生まれ変わり

人が流した涙の量は、大海より多い〈輪廻転生(生まれ変わり)のお話〉

 

みなさん、こんにちは。

 

私たちは、悲しいことがあった時に涙を流しますね。

悲しくて涙を流したことがない人なんか、いないでしょう。

嬉しいことがあった時や感動した時にも涙を流します。

 

でも、人はその一生において、悲しい時に流す涙の方が、圧倒的に多いはずです。

 

その涙の量が、「大海の水の量よりも多い」とは、どういうことでしょうか?

 

これからそれを見てみましょう。

 

Contents 目次

1、釈尊が説く、輪廻転生(生まれ変わり)

 

この涙に関連して、仏教の開祖・釈尊(ブッダ、釈迦)が、わかりやすいお話をされています。

それを増阿含経(ぞうあごんぎょう)よりみてみましょう。

 

サーヴァッティ(舎衛城)の郊外の、ジェータ林の精舎でのことです。

釈尊は、ふと、弟子たちに次のように語りかけました。

「比丘(弟子)たちよ、なんじらは、これを、どう思うだろうか。

四つの大海の水と、なんじらが、長い長い過去のいく生涯のなかで、愛しい者との別離にそそいだ涙と、どちらが多いであろうか?」

すると、弟子たちは次のように答えました。

「大徳(師)よ、私どもは、世尊(釈尊のこと)のつねづねお説きになった教えによって、わたしどもが、長い長い過去のいく生涯において、愛しい者との別離のうえにそそいだ涙の量は、四つの大海の水をもってするも、なおその比ではないと心得ております」

と。

 

ここで釈尊は、弟子たちに対して、人が流す涙の量と大海の水の量を比べて、どちらが多いのかという問いを発したのです。

それに対して、弟子たちもよく心得ていて、流した涙は大海の水よりも量が多いというのです。

 

弟子たちの答えに満足した釈尊は続けて、次のように話しました。

すると、釈尊は、その答えに満足し、さらに次のように言われました。

「よいかな、比丘たち。

われらは長い長い過去のいく生涯において、いくたびか、わが父母の死にあったはずです。

そのたびに流した涙の量は、いくばくとも知れない。

また、われらは、それらのいく生涯において、いくたびとなく、わが子の死にあったでしょう。

わが血縁のものの死にもあったに違いない。

そのたびごとに、わたしどもが、愛しい者とのわかれの悲しみにそそいだ涙は、思うに、四つの大海の水をもってするも、なおその比にあらずとしなければなりません」

 

 

このように、釈尊は弟子たちに、これまでに悲しみで流した涙の量が、なんと四つの大海のすべての水の量よりも多い、とおっしゃっているのですね。

 

それだけ、人は、無数の生き変わり生まれ変わりといった輪廻転生を繰り返してきているということを説いているわけです。

 

2、無限の生まれ変わりで、これまで流した涙の量は大海の水の量よりも多い

 

ちなみに、人が一生のうちに流す涙の量は、調べてみると約65リットルということだそうです。

せいぜいそれくらいの量しか涙を流さないのです。

 

なのに、四つの大海のすべての水の量よりも、これまでに流した涙の量の方が多いというのです。

すごいわかりやすい説明ですね。

それだけ、人は輪廻転生を繰り返して、無限の生まれ変わりをしているということなのですね。

 

 

輪廻というのは、始めを知らない遠い過去世から、人は、繰り返し繰り返しこの世に様々な生を受けてきている、という考え方です。

 

それは人間だけの話ではありません。

動物も爬虫類も鳥も、すべての生物が輪廻転生を繰り返しているということですね。

このように、釈尊はわかりやすい説明で、弟子たちに人の輪廻転生(生まれ変わり)を説いているのですね。

 

3、釈尊自身が、何回も輪廻転生する人の姿を見ている

 

一般に、私たちは時おり、輪廻転生とか生まれ変わりというものが、あるのか、ないのか、といったことを考えたりしますね。

 

そうしたときに、「生まれ変わりがある」と思っても、はたして〈前世〉は自分は何だったのか、〈来世〉はどんな人間になるのだろうか、といった程度のものでしょう。

 

現在の自分〈今世〉を中心にして、せいぜい数回の生まれ変わりしか想像できないのではないでしょうか。

前世のさらに前の、前前世はどうだったんだろうか、っていう風にです。

 

また、前世を記憶する人の話を聞いても、せいぜい数回前までの記憶にすぎません。

 

 

時には一千年もの前の時代の記憶を話す人もいます。

でも、古い記憶になればなるほどその信ぴょう性が低くなってきます。

しだいには作り話か、妄想や空想ではないかと疑われたりしますよね。

 

そうした場合には、それが作り話や空想にすぎないのか、それとも本物の記憶なのかを判別する方法があります。

それは、話の内容がその時代の特徴的な事(風習、出来事など)に合致しているかどうかなどを調べるのです。

そうした判定をもって、内容が本当の過去世のものだと判断されることがあります。

でもそれが出来たとしても、せいぜいが、数回前の前世の記憶にすぎないものです。

 

ところが、釈尊は、前前世どころか、何十世、何百世、何千世もの過去の生まれ変わりのお話をしているのですね。

 

これは、釈尊ご自身が、その深い瞑想によって、自分の輪廻転生(生まれ変わり)の姿を見ているからなのです。

自分の生まれ変わりの姿だけではなく、人間の(人以外も含めて)の、生き変わり死に変わりしていく姿を、その深い瞑想によって知ったのです。

 

こうした瞑想の様子を記した経典があるのですね。

 

 

4、輪廻転生を繰り返すことの苦しさ

 

そしてまた、人間が必ずしも次にも人間に生まれ変わるとは限らないようです。

次の生では、動物に生まれ変わってしまうかもしれないそうです。

 

さらに、この世に人間か動物とかなどのように、肉体をもって生まれ変わるとも限らないそうです。

つまり、霊魂のままで存在しているということもあるようです。

いや、むしろちゃんと人間として肉体をもって生まれ変わることの方が、難しくて珍しいともいわれるのですね。

 

このあたりのことは、わたしの以前のいくつかの記事でお話していますので、それをご参照ください。

 

 

さらに大切なポイントがあります。

 

こうした輪廻転生を繰り返すことは、苦しいことだということですね。

なぜなら、地獄界や餓鬼界の境界に生まれたならば、まさに苦しみだらけの一生を送らなければいけないからです。

 

ですので、その輪廻の無限ループからは脱出しなければいけないのです。

それを、いかにして脱して、苦のない世界に解脱(げだつ)するか、その方法を説いたのが釈尊なのです。

 

 

今回は、涙の量という譬喩(ひゆ)をもちいた、人間の輪廻転生(生まれ変わり)という無限ループのお話でした。

 

 

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