みなさん、こんにちは。
人は、前世において死亡したのち、次は、どこの場所または家庭に生まれ変わるか?
そして誰の子供として生まれ変わるのでしょうか?
そこになんらかの因果関係があるのでしょうか。
あるとしたらどういうことが原因で、〈そこに〉生まれ変わったのでしょうか。
今回はそのことについて、考えてみたいと思います。
いくつかの生まれ変わりの事例から、人が生まれるにおいては、そこには何らかの事情があって、そこに生まれ変わっているようです。
ここでは、『前世を記憶する子どもたち』(イアン・スティーヴンソン著、日本文教社)に紹介されている例をみていきましょう。
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Contents 目次
1、前世の自分の葬式を手伝った女性の元に生まれた人
まずは、ビルマでのお話です。
亡くなった女性がその後、どのように生まれ変わっていったかを見てみましょう。
ビルマ北部のタトコンに住んでいたある女性は、タトコンからマンダレーに向かう汽車の中で突然心臓発作様の症状を起こした。
そのためこの女性は、タルンという町の近くで治療のため降ろされたが、まもなく死亡した。
その後、この情勢の生涯と死亡する時の模様を記憶しているマウン・ウィン・アエという男児がタルンで生まれた。
本人の母親は、タルンで突然死亡した見知らぬ女性の遺体が横たわっているのを、大勢の人々と一緒に後期の目で眺めていたばかりか、その女性の葬式の準備まで手伝った。
その後まもなく、母親は本人を身ごもった。
(中略)
可能性はもうひとつ残されている。死亡した女性の人格が痛いの近辺にとどまり、駅まで遺体を見物に来たその子供の母親に惹きつけられ、マウン・ウィン・アエとして生まれ変わったとする記憶である。
この事例では、女性から男性に生まれ変わっています。
ここに見られるように、前世で死亡したのち、死亡した当の本人は自分の遺体の近くにずっといたことが考えられるようです。
そして、時間的な経過を考えると、前世の自分の葬式の準備まで手伝った女性に、すぐにその胎児として生まれ変わったようです。
この時にこの現場において、この女性の他にも若い女性がいたのかどうかはわかりません。
次にもうひとつ似た事例をみてみましょう。
2、川に流された自分の遺体が引っ掛かった家の女性の元に生まれた人
次に上げるのは、前世おいて射殺された人のお話です。
前世を記憶する子供が、前世の人格の遺体が死後運ばれた場所で生まれた事例もいくつかある。
マウン・アエ・キャウというビルマの少年は、前世で射殺され、自分の遺体が小川に投げ込まれた時のことを覚えていた。
マウン・アエ・キャウは、肉体のない状態にあった時、下流に流される遺体に付いて行った記憶を持っていた。
殺された場所から、川下に何キロか下ったあたりで、川に浮かんでいる死体が、川岸に建っている家の近くにある小さな船着き場の杭に引っ掛かった。
その家の女性が水中の死体に気づき、何人かの男性を呼んだ。
男たちは、その死体を流れの中に押し戻し、イラワジ河の方へと流した。
まもなくその女性は、マウン・アエ・キャウを妊娠した。
その後生まれたマウン・アエ・キャウは、言葉が話せるようになった時、以上の出来事を語ったのである。
この事例でも、本人は前世で死んだ状況を記憶して、自分の遺体がどのような状態になって行ったかを覚えていました。
そして、今世で母親となった女性がどのような行動をしたかも、そばで見ていて、それを記憶していたというのです。
このように2人とも、自分の遺体と関わった女性の元に生まれ変わっています。
しかもごく短期間に胎児として新しい母親の元に入り込んだようです。
3、生まれ変わりの場所や、家庭にはどのような意味があるのか?
1、生まれ変わり状況を決定する3つの要因
人が生まれ変わる場合、なぜそこの家に、その両親の元に生まれ変わったのか、という疑問が出てきます。
それを決定する要因としては、ざっと次の3つがあげられるでしょう。
- 前世と同じ両親、または家庭に生まれる
- 前世において、次の生の親となる人物や家庭と、仕事や生活上において関係があるところに生まれる
- 前世の死後、自分の遺体に関わった女性の元に生まれる
今回、取り上げました2つの事例では、
3、「前世の死後、自分の遺体に関わった女性の元に生まれる」
の場合に当てはまります。
次の人生を生きるための母親となる女性が、自分の遺体のそばにいたことが、生まれ変わりの原因となっているようです。
2、それは果たして、「偶然」なのか?
しかし、この2つの話には、前回にご紹介しましたような、前世の記憶について鍵となったスープの話は出てきません。
さらに、来世に生まれ変わるための導きとなる人〈老人〉も登場せずに生まれ変わっているようです。
また、自分の遺体を見てパニックになったという話でもありません。
もっとも、自分が死んだことに気づいた時、パニック状態になったとしても、そのこと自体までは記憶していないとも考えられます。
生まれ変わりの状況は、人それぞれにおいて違いがあるということでしょう。
ここで、上にあげた二つの場面で、さらに疑問が浮かんできます。
もしも、遺体が〈発見〉された時に、その場に複数の若い女性がいた場合は、どうなるのでしょうか。
その場合、いったいどの女性を選択して、次の人生を歩むべく、その胎児として生まれ変わるのでしょうか?
それは、
単なる偶然なのでしょうか?
もっというならば、女性がそのタイミングで遺体を〈発見〉したということ自体にも、それを単なる偶然と片付けても良いのかどうか?
仏教においてはすべての出来事が、因縁因果の法則によって成り立っているとされます。
一見して、「偶然」と思われることにも、さらに奥深く調べると、そこには何か必然的な作用があるのかもしれません。
今後はそうしたことについても、さらに追求していこうと思います。
乞うご期待!
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