みなさん、こんにちは。〈生まれ変わり〉のお話、第3話です。
生まれ変わりの体験談は、昔から現在に至るまでたくさん報告されています。
〈生まれ変わり〉にはいろんな“パターン”があり、
「死んだら必ずこうなる」ということは言えない
ようです。
今回、取り上げる事例は、2例とも前世では崖から転落して死亡した人の記憶です。
死んでからの展開がまったく異なりますので、それを比べてみましょう。
Contents 目次
1、自分の死体を見て、体に入ろうとした少年
1、牛飼い廬忻(ろきん)の場合
『増補夷堅志(ぞうほいけんし)』という本の中に、前世を記憶していた廬忻(ろきん)という牛飼いのお話があります。
ここではそれを見ていきましょう。
おらの前世は回北村の趙氏の子どもで、十九歳のときに、牛を山の下のほうまで追いかけていて、ちょうど秋の雨が降ったあとで草が湿って滑りやすくなっていたため、崖下に堕ちてしまったんだ。
何とか気を確かにもって立ち上がってみたところ、自分の傍に一人の男が倒れている。
牛飼いが、自分と同じように滑って崖下に落ちたのかと、大声で呼びかけたが、反応がない。
しばらくのち、落ち着いて倒れている人を見ると、何とそれは自分自身であった。
その体に入ろうと思い、いろいろ試してみたが、できなかった。
でも体を捨てるのは忍び難くて、体の周囲をぐるぐる回ってその夜を過ごした。
なんと、そばで男が倒れていて、呼びかけていたのに、その男が自分だったと気づいたというのです。
それはかなりのショックだったでしょう。
目の前に死んでいる人がいて、それが自分だったなら、どうします?
誰であっても驚くと同時にパニック状態になってしまうのではないでしょうか?
翌日、父母がやって来て、遺体を見つけ慟哭した。
自分はその場にいたので、何とかここにいることを伝えようとしたが、気付いてもらえなかった。
やがて、父母が自分を火葬にするため、その体に火をつけた。
そのときも、『焼かないで、焼かないで』となんども言ったけれども、父母には聞こえないようで、反応はなかった。
その後は、父母が慟哭(悲しみで声をあげて激しく泣くこと)する様子も見ています。
さらに、自分が火葬されるのを見ていたそうです。
火葬が終わると、お骨をツボに納めて去って行った。
自分もついて行こうと思ったが、父母は三メートル以上という身長で、そのあまりの大きさに恐ろしくなって、付いていくことができなかった。
父母が3メートル以上というのが面白いですね。
死ぬと大きさの感覚が変化するのでしょうか?
そのあとは、どうしていいかわからず、そのあたりを寄る辺なくさまようしかなかった。
一ヶ月余りたったとき、一人の老人と出会った。
その老人が「わしが汝を連れて行って帰してやろう」というので、付いていくと、ある家に着いた。老人はその家を指さして、「これが汝の家だ」と行った。
それで、ここに生まれて来た。
それが今のおらなんだ。
これは、自分が死んだ時の状況をはっきりと記憶している事例です。
2、この話における、「チベットの死者の書」との共通点
いろいろとある生まれ変わり(輪廻転生)の話では、普通は、別の家庭に生まれ変わっているものが多いです。
しかし、このお話の場合、廬忻は前生で17歳で崖から落下して死んだのちに、再び同じ家に生まれ変わっています。
これは珍しい例なのかもしれません。
この話の中で、自分の死体に入ろうとしたり、死体の周囲をぐるぐる回るところが出てきますね。
これと似たような記述が、『チベットの死者の書』にも出てきます。
自分の死体を“発見?”したとしたら、人は通常、パニック状態になって、何度も何度も元に戻ろうとするのも理解できそうです。
また、「自分の死体を見る」という体験は、医療の世界で報告されている「臨死体験」とよく似ていますね。
『チベットの死者の書』については、今後また別のページで詳しく書いていこうと思っています。
では次は、同じように崖から落ちてなくなった少女の事例をみていきましょう。
2、崖から落ちて死んだことに、あとになって気づいた少女
1、崖から落ちた少女
同じく崖から落ちて死んだ話が、『生まれ変わりの村④』(森田健著、河出書房新社)に紹介されています。
ここでは、それをみていきましょう。
〈今世(男)〉現在54歳。
〈前世(女)〉
前世は女性で8歳のときに崖から落ちました。後から思えばそこで死にました。
〈あの世〉
しかし、かすり傷ひとつ無く、そのまま立ち上がって歩きました。
周りの景色もなったく違和感が無かったです。
この世とそっくりでたくさんの人がいました。
だから最初は死んだとは思いませんでした。
スープを飲ませようとしているところがあったので逃げました。
なんと、崖から落ちた後も、痛みも傷もなかったそうです。
この少女の場合は、
崖から落ちて亡くなっても、自分が死んだことに気づくことがなかった
ようです。
2、スープを見て、“死”を自覚し始める
スープ飲み場は数カ所ありました。
飲んだ人がちょっと酔ったようになるのを見て、私は飲みませんでした。
(中略)
飲んだ人が酔ったようになるのを見て、伝説のスープかもしれないと思いました。
前世の記憶を忘れさせるために飲ませるスープです。
ほとんど無理やり飲ませていました。
飲んだ人は酔っ払いのようになっていたので、嫌で逃げました。
そして、死んだ後も何日かは、自分が死んだとは思いもしなかったそうです。
(どのくらいあの世にいたのですか?) 1ヶ月くらいです。 (家に帰れないことで、変だと思いませんでしたか?) 単に道に迷ったと思いました。 (死んだと思わず、そのまま歩いていたのですか?) 最初はまったく死んだとは思いませんでした。 また起き上がって歩いていました。 最後のほうでスープ飲み場を見たとき、死んだのかもしれないと思いました。 (崖から落ちて死ねば痛いと思いますが、痛くもなかったのですか?) はい、かすり傷ひとつ無く、痛みも感じませんでした。
この人は、また〈あの世〉のことも、次のように話しています。
(どこで寝たのですか?)
休む場所がありました。
みんなで寝ました。
(トイレは行きましたか?)
今と同じように行きました。
(友だちには会いましたか?)
知り合いには会いませんでした。
8歳で死んでいますから。
もっと歳をとってから死ねば知り合いも多かったかもしれません。
(この世と違っているところはどんなところですか?)
あまりにそっくりで、あの世に行ったとはなかなか思えませんでした。
この男性の場合は、前世では8歳の時に崖から落ちて亡くなった女の子でした。
死んだことには気づくことなく、そのまま立ち上がって歩いていったようです。
もしこの時に、先に挙げた廬忻(ろきん)のように後ろを振り返ると、自分の死体が横たわっているのを見つけていたかもしれません。
そうすれば、驚いてパニック状態になって、自分が死んだことを悟ったかもしれませんね。
その場合はその後の展開がまた違ったものになっていたのかもしれません。
みなさんも、もしも崖から落ちるようなことがあったならば、スクッと起き上がった後は、後ろを振り向かずにそのまま立ち去っていく方が良いかもしれませんよ(笑)。
この人の場合は、あの世では、露店でお金を払ってケーキを買っている人を見たそうです。
配給の人がいて、おまんじゅうを貰ったそうです。
3、いろいろある、死後の行方
廬忻(ろきん)の場合は、死後には、自分が火葬されるまで見ています。
その後一ヶ月あまり、その場で過ごしたのちに、〈老人〉の導きによって、再びこの世に生まれかわっています。
この〈老人〉の導き、というのは、日本の転生話で有名な『勝五郎の転生』にも出てくるのです。
その〈老人〉は、いったい何者なのでしょうか?『勝五郎の転生』についても、今後また別のページにて、詳しくみていく予定です。
2例目の少女の話では、〈スープ〉が出てきます。
実はこの〈スープ〉が、〈生まれ変わり〉の記憶の有無に関しては、かなり重要なポイントとなるようなのです。
『生まれ変わりの村④』の著者の森田健氏によると、取材したこの村では、〈スープ伝説〉というのがあるそうです。
それは、死後の世界に出てくる〈スープ〉を飲むと前世を忘れてしまう、とうことだそうです。
逆に、〈スープ〉を飲まなければ、前世を記憶したまま生まれ変わる場合が多いそうです。
世界ではこうした〈スープ伝説〉があるところはあまり聞いたことがありません。
ですので、他の地域での前世の記憶話には、スープを飲んだとか飲まなかったとかという話は出てこないようです。
〈スープ〉がいったいどういう意味があるのか、今後、検証していく価値が大いにある課題だと思います。
今後も、そうした問題も追及していきたいと思います。
2例とも崖から落ちた話ですが、亡くなった本人の目線で語られています。
しかし、残された家族はいかに悲しい思いをされたでしょう。
こうした不慮の事故に遭遇しないようにすることが、一番大切なことです。
そのためには、どうすれば良いのか?
本当に考えるべき点はそこにあると思っています。
【参考記事】仏教における生まれ変わり(輪廻転生)については。⬇︎
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