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『チベットの死者の書』が説く、輪廻転生とは?

 

さて、今回のテーマは、チベット密教の秘経、『チベットの死者の書』です。

 

この『チベットの死者の書』をメインにして、人の死後の世界や「輪廻転生」について、考えてみたいと思います。

 

私たちは、日々の生活で、“死後の世界”や“輪廻転生”とか“人の生まれ変わり”について、疑問をいだいたことはないでしょうか。

  • はたして死んでしまったあとは、“自分”はどうなるのだろうか?
  • 死後の世界って、いったいどのような世界なのだろうか?
  • 生まれ変わり、ってよく聞くけど、それってどういう事なの?

こうした問題で想いを巡らせている人は多いと思います。

 

今回、『チベットの死者の書』をみていくことによって、そうした疑問への考えるヒントとなるでしょう。



Contents 目次

1、死後の世界が描写されている、『チベットの死者の書(バルドゥ・トエ・ドル)』とは、何なの?

 

「チベットの死者の書」とは、現在でもチベットでは、家に死者が出た時に、その枕辺に僧侶が招かれて唱えるお経です。

英語では”Tibetan Book of the Dead”と訳されています。

 

また、死後四十九日間の追善回向・鎮魂のお経でもあるそうです。

死の瞬間から次の生の誕生までの間に起こる出来事を描写していて、死者に対して正しい「解脱」の方向を示すための経典です。

 

「バルドゥ」とは

“途中”という意味で、死はそれで終わりではなく、途中にすぎないのだとされます。

それは“中有”ともいい、死んでから次の生を受けて生まれ変わるまでの意識の中間的状態(中間的時期)のことです。

 

『チベットの死者の書』の中には、生きている時の心構えや修行のレベルによって、死後にすぐに「解脱」に向かうかどうかが決まると描かれています。

 

普段の心構えが悪くて悪業を積んでいたり、修行をさぼっている人は、解脱がかなり遅れるということです。

解脱できないだけでなく、次の生は、人間にさえ生まれることが出来ない事もあるとも説かれています。

 

 

2、『チベットの死者の書』に説かれている、人の〈死後の世界〉が、凄い!

ではこれから、『チベットの死者の書』を参考にして、死後の世界について見ていきましょう。

 

1、死後に、意識を取り戻す

 

『チベットの死者の書』では、様々な段階での「解脱(げだつ)」が説かれています。

生きていた時に善業を積み、その修行が高度のレベルに達している人は、死と同時に〈解脱〉する。

 

しかし、大抵の人はそれは期待できない。

そこで『死者の書』では、人間が死ぬと、三日半ののちに、意識を取りもどす、といいます。

 

ここで「意識を取り戻す」というのは、どこまでも死んでからの意識であって、生き返るという意味ではありませんよ。

肉体が死滅しても、そのあとに意識だけが蘇るのです。

 

 

2、〈感覚〉の時間があるのではないか?

 

〔ちなみにこの部分ですが、私は少し別の見方をしています。〕

 

『死者の書』では、人の死後三日半のちに意識を取りもどす、といっています。

 

でも、死者が“意識”を取り戻す前には、

「痛い」「苦しい」「つらい」「暑い」「寒い」

といった、〈感覚〉だけの時間があると、私はみています。

 

〈感覚〉だけの時間がすぎた後に、“意識”を取り戻すのです。

 

『チベットの死者の書』がいうように、いきなり意識を取り戻す場合もあるでしょう。

しかし、そうではなく、〈感覚〉だけの時間があるとみています。

 

ですので、『チベットの死者の書』は死後の世界の描写の点で、不十分だと私は考えているのです。

 

ともあれ、『チベットの死者の書』では、死者は、しばらくのちに意識を取り戻すと、いうことです。

 

3、自分が死んでいることに気いた時の〈衝撃〉

 

この時期には、自分の身に起こったことの自覚ができないため、自分が死んでいるのか、死んでいないのかの自覚がない、といいます。

 

この状態を〈チカエ・バルドゥ(中有)〉といいます。

 

その後しだいに、周囲をはっきりと自覚できるようになっていく。

それと同時に、自分が死んだことを自覚するのです。

 

 

『死者の書』はいいます。

 

〈この時に汝は次のように考えるであろう。

ああ、私は死んでしまっているのだ。私はどうしたらよいのであろう

と、このように悲しく思っている時に心臓は冷たく、うつろになる。

計り知れないほど激しい苦悩に襲われる。

一つの場所に落ち着くことができずに、歩きつづけなければならない。

このような時にはいろいろなことを思ってはならない。

意識を正常に保つべきである。

お供えされたもの以外には食物も満足に食べる事ができないような時期が、汝に訪れるであろう。〉

と。

 

このように、「解脱」できない人の死後の苦しみが説かれています。

自分が死んでしまっていることに気づき、激しい衝撃に見舞われるのです。

 

3、なんとしてでも、身体を持ちたい!

1、自分の死体に、何度も入ろうとする

 

さらに生前における行いが〈カルマン(業)〉となって、死後の世界へ大きな影響を与えることについても説かれています。

 

〈この時における喜びも苦しみもすべて生前のカルマン(業)次第で決まる。

汝は自分自身の故郷の地、一族、親戚、自分の死体などを見る事ができる。

《今、私は死んでいるのだ。どうしよう》と考えて、汝の意識からできている身体は非常な悲しみを味わうであろう。

《いま、もう一つ別の身体を持ったところで何の不都合があるだろうか》と考えて、あらゆるところに身体を求めて行こうとする願いが何時に生じるであろう。

汝はそこにある自分の身体に九回も入り込もうとする。〉

 

自分が死んでしまったことに気づき、パニックに襲われ、悲しみ苦しむという事です。

そして、自分の魂が、身体にないことに気づき、それは非常な悲しみと苦しみとなるそうです。

 

 

2、新しい身体を求めて

 

さらに、新しい身体を求めて、苦しむことになる。

 

『死者の書』はいう。

〈かつての汝自身の身体には汝の意識は居場所を得る事ができない。

それで、たくさんの岩屋土砂の間に送り込まれてしまったような、非常に悲しい思いを汝はするであろう。

 

これが〈シパ・バルドゥ(再生へ向かう迷いの状態の中有)〉なのである。

 

汝が身体を探し求めても、苦しむだけなのである。新しい身体を求める気持ちを断つべきである。

気持ちを動かさず、無作為の状態に置くべきである。

心を惑わされてはならない。このように覚れば解脱が達成できるのである。〉

 

ここで、『死者の書』は、〈シパ・バルドゥ(再生へ向かう迷いの状態の中有)〉という状態を説いています。

生前の悪業によって解脱できない人は、この状態で苦しむといいます。

 

3、自分の財産が奪われるのを、見ている

 

さらに、自分が所有していた財産などへの執着心をも捨てることが説かれています。

 

〈また、死んだ後に残した財産に対しての執着心が汝に生じ、また汝の財産を他人が好き勝手に享受しているのを知って、汝がこれらの財産にこだわって、後の事を頼んだ人たちに対して怒りを生じるかもしれない。

 

しかしこの怒りに心を任せると、天人として生まれ変わるはずの汝も地獄とか餓鬼の世界に生まれることになってしまうであろう。

たとえ汝が後に残した財産に執着心を起こしたとしても、汝はこれを手に入れることはできないのである。〉

 

このように、死者は、自分が残した財産が奪われるのを“見ている”のですね。

遺産相続で自分の子どもたちが争っていたら、それを悲しみながら見ているかもしれませんよ。

 

 

〈汝には何の利益にもならないのである。

のちに残した財産に対する執着や求める気持ちは捨てて、完全に投げ出すがよい。

きっぱりと諦めるべきである。汝の財産を誰が受けることになろうとも、それを惜しんではならない。

進んで与えるべきである。師僧と三宝にこれらの財産を捧げたいという思いに気持ちを集中させるべきである。

無執着で何も求めない心の状態のままに過ごすべきである。〉

 

このように、『死者の書』では、何物にも執着せず、求めない心の状態で過ごすことが、解脱への道であると説かれているのです。

生きていた時の自分の持ち物に執着しても、それを得ることができなだけでなく、解脱できず苦しむといいます。

 

4、死者は苦しみのあまり、再生する

 

人の〈死後の世界〉や〈輪廻転生〉については、『君は誰の輪廻転生か』(桐山靖雄著)が非常に参考になります。

ここに『チベットの死者の書』の解説も含めて〈死後の世界〉が詳しく解説されています。

 

『君は誰の輪廻転生か』で、著者の桐山靖雄師は、

〈死者は苦しみのあまり、なんとしてでも身体を持ちたいと思い、再生する〉

とあります。

「ああ、苦しい。苦しくてたまらない。なんとしても身体がほしい」

その結果、悲惨な境遇に堕ちる業を持った死者は、とてつもない悪い身体をとって再生するのだそうです。

 

生きていた時になした悪業の重い者は、苦しみの世界から抜け出ることができず、悪業から解脱している者は苦しみの空間を越えることが出来るそうです。

 

なんとも、恐ろしい世界ですね。

でも、これが本当の死後の世界の〈現実〉なのでしょう。

 

 

4、スピリチュアル系の〈甘い言葉〉に惑わされてはいけない

1、本当に〈魂〉は上昇するのか?

 

いわゆるスピリチュアル系の人たちの中には、時おり「〈魂〉は生まれ変わるごとに、どんどん上昇する」などと言う人がいます。

でも、『チベットの死者の書』を読めば、そんな簡単なものではないことが理解できるでしょう。

 

またこうした人たちは、「人が生まれてきたのには、その〈魂〉の上昇過程において、それぞれ役割があるのです」などとも言う人もいます。

 

もし、本当にそうならば、極悪人はどう考えればよいのでしょうか?

多くの人を殺害して、人を苦しめた極悪人は、人を苦しめるという“役割”を果たすことによって、〈魂〉が上昇するというのでしょうか?

そんなバカなことはないはずです。

 

スピリチュアル系の人は、カウンセラーとしては、まずは目の前の悩んでいる人の心を癒すのが第一の目的です。

ですので、いきおいこのような甘い言葉をかけて話すことがあるのでしょう。

ヒーリングカウンセラーならば立場上、そうなってしまうのかもしれません。

 

でも、人の〈魂〉が、誰でもがどんどん上昇するなんてのは、いかにも“甘すぎる話”ですね。

 

 

2、業によって、次の人生が決まる

 

そうではなく、『チベットの死者の書』にいうように、すべてはその人がおこなった行為による、業(カルマン)によって、次の人生が決まるのです。

人間の生命というものは、決してスピリチュアル系の人たちの言うような“甘い話”のものではないのです。

 

今回は、『チベットの死者の書』を軸に、人の死後の世界、輪廻転生を考えてみました。

 

『チベットの死者の書』は、ここに紹介した部分以上に、まだまだ奥深い記述があります。

そうしたことについては、また別の記事で詳しく書いていきたいと思っています。

 

最後に『チベットの死者の書』の言葉を引用して、今日の記事の締めくくりとします。

 

〈仏たちに帰依するとその功徳によって悲惨な境涯から復帰できる。

宝石のような美しさと徳をそなえた人間としての身体を得ることができる。

そして、その後の生涯においては師僧や先輩の僧侶たちとも出会うことができて、彼らの教えを受けて(来世で)解脱するであろう〉

 

 

5、まとめ

 

  • 『チベットの死者の書』とは、現在でもチベットでは、家に死者が出た時に、その枕辺に僧侶が招かれて唱えるお経である
  • 死の瞬間から次の生の誕生までの間に起こる出来事を描写していて、死者に対して正しい解脱の方向を示すための経典である
  • 『チベットの死者の書』によると、生きていた時に善業を積み、その修行が高度のレベルに達している人は、死と同時に解脱するが、大抵の人はそれは期待できない
  • 死者は苦しみのあまり、なんとしてでも身体を持ちたいと思う
  • 人の〈魂〉が、誰でもがどんどん上昇するということではない

 

【参考文献】『君は誰の輪廻転生(うまれかわり)か』(桐山靖雄著・平川出版社)
      『原典訳 チベットの死者の書』(川崎信定訳・ちくま学芸文庫)

 

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