前回の続きです。
では、自分を愛することができる人とは、どのような人なのでしょうか。
ここからは、それを考えてみたいと思います。
Contents 目次
1、自分を愛するとは、どういうことなのか
1、だれにでもある自分に対する思い込み
まず、自分を愛することが出来る人というのは、しっかりと自分の状態を理解していることが出来ている人でなければいけないと思うのです。
思い込みの幻想に浸っている人は、ナルシシストになってしまいますね。
ちゃんと自分を見つめている人は、同じ自分を大切にするといっても、ナルシシズムにはならないのです。
もちろん、誰でも自分に対する思い込みはあるものです。
真実の自分の姿を知る人なんて、実際にはなかなかいないのです。
真に自分を知っている人は、仏教でいうならばブッダ(仏陀)になった人といえるでしょう。
本当の自分を知るなんてことは、かなりむずかしいことです。
2、ありのままの自分を大切にする
ですから、「自分を愛する」というのは、あくまで、現実の自分をよく見つめることから始まると思います。
もちろん完全に自分を理解することなんてできません。
そこには多少の、うぬぼれや劣等感が入っていてもよいでしょう。
でも、根拠のない幻想になってしまうと、ナルシシズムになってしまいます。
自分を見つめて、周囲をも見ていくと、現実の自分が見えてくるのです。
そうした視点で自分をとらえて、ありのままの自分を大切にする。
そこで「自分を愛する」ということが始まるのだと思います。
2、自分を確立している人が、人を愛せる
1、挑戦をし続けることの大切さ
ですので、「今の自分はこんなのだから、仕方がないじゃん」ってあっさりと思える人は、自己嫌悪にも陥ることもなくナルシシストにもならないと思うんです。
自分をありのままに見るということは、自分を見限ってあきらめるということとは違います。
たしかに、年齢を重ねるにつれて、自分の可能性が狭く感じられてくるということはあります。
自分では、もっとできると思っていたのに、実際の自分はそうでもなかったってことも、しばしばあるものです。
でも、何かに挑戦をし続けることは大切なことですよね。
挑戦には、多少の幻想も必要でしょう。
でも、いつまでも自分に向いていないことにこだわるのは問題ですね。
あまりそこにしがみつくと、幻想の世界にはまり込んでしまい抜けられなくなってしまう危険があります。
そうかといって、挑戦したことをすぐにあきらめてしまうのもどうかと思います。
そこのところのバランスが大切なのです。
2、自分の適正を知ることも大切です
確かに人間には〈適正〉というものがあるようです。
また、年齢はどんどんいって、残された時間が少なくなってくるのも現実です。
そういった限界はあっても、自分に向いているものへの可能性を信じてチャレンジし続けることが大切なのです。
残された時間を無駄にはできません。
そのためにこそ、自分をしっかりと見極めることが大切になってくるのです。
他人を見て、自分には「あんなことが出来ない」とかばかり思っている人がいます。
そうではなく、自分をちゃんと見て、自分にあるもの、自分が出来ることを伸ばしていくことが大切なのですね。
それが、「自分を愛する」ということなのではないでしょうか。
3、自分を愛する人が、他人を愛することができる
自分を愛することができる人というのは、しっかりとした自分を持っている人と言えます。
その自分がないと、人を愛するということも始められないでしょう。
自分の方から相手を愛するという場合、自分がしっかりと確立していないと愛することはできません。
このように愛されることばかり望んでいる人が、ナルシシスト(自己愛人間)といえると思うのです。
みなさんも今日から、ちゃんとありのままの自分を見つめて、自分を愛しましょう。
3、まとめ
- ナルシスが、ナルシシスト(自己愛人間)の語源で、ギリシア神話に出てくる
- 「ナルシシズム」というのは、自分を愛してはいるが、自分が見えていない状態である
- ナルシシストの心理は、親が子どもを自分の延長物のように思いこみ、子どもと自分を一緒にしてしまう、という形に現れる
- 自己嫌悪というのは、幻想に縛られていることから、自分に対する甘えといえる
- だから自己嫌悪というのは、ナルシシズムと同じ心理と言える
- 自分を見つめて、周囲をも見ていくと、現実の自分が見えてくる
- 自分を愛する人が、他人を愛することができる
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